女人禁制の伝統と、宗教上の理由に基づく輸血拒否~土俵に女性が上がることの可否と、宗教上の理由で輸血の拒否が許されるか~

2018年大相撲春巡業で、土俵であいさつをしようとしていた市長が突然倒れ、救命のために女性の観客が土俵に上がった際、土俵から降りるようにとのアナウンスが流れたことが問題となっています。

日本相撲協会では土俵は神聖な場所であり、女性が上がることを厳格に禁じる伝統を徹底的に貫いています。このような伝統に対して、女性知事などが土俵であいさつをすることの可否などが、これまでも何度も話題になってきましたが、今回はあいさつではなく、救命の際にも伝統を優先したことの問題です。

個人的には、伝統は伝統で構わないけれども、いったいいつまでこの伝統を貫くつもりか、甚だ疑問に思っています。この間、相撲協会では多くの不祥事が続いており、「伝統」や「神事」の名の元に実際には社会の常識と乖離し、個人の尊厳を踏みにじる出来事ばかりが目立ちます。

その意味では、今回の件を踏まえて「伝統」に固執する姿勢を改めてはどうかと思います(きっと無理でしょうけど)。

 

さて、今回の報道を見聞きして、私がとっさに思いだしたのは、「エホバの証人輸血拒否事件」です。

これは、手術に際して宗教上の理由から、いかなる事態に陥っても輸血処置はしないで欲しいと希望した患者に対して、担当医の判断で手術中に輸血を実行したところ、そのことに対して患者が病院に慰謝料を求めた事案です。

最高裁まで争われましたが、最高裁では患者側の人格権を根拠に請求を認めました。

 

このケースでは、宗教上の人格権(輸血を拒否する自由)>救命活動と判断された訳です。

他方で、上記の相撲の件では、相撲会における伝統<救命活動と判断されています。

 

この違いは、ひとえに、エホバの証人の件では個人が明確に宗教上の理由に基づき輸血を拒否していたのであり、他方で相撲の件では個人の伝統ではなく、相撲界の伝統ということですから、優先度合が異なってくるといえます。

 

 

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