江口寿史さんが金井球さんをトレースしてイラストにした件

2025年10月3日に漫画家、イラストレーターの江口寿史さんが以下のような内容をXに投稿しました。

「中央線文化祭のイラストは、インスタに流れてきた完璧に綺麗な横顔を元に描いたものですが、ご本人から連絡があり、アカウントを見てみたらSNSを中心に文筆/モデルなどで発信されている金井 球さんという方でした。その後のやり取りで承諾を得たので再度公開します。金井さん(@tiyk_tbr)の今後の活動にも注目してくださいね。

JR荻窪駅のルミネ、地下と1階出入り口にどでかい看板が現在貼り出し中なので近隣の方はしばらくの間よろしく!」

この投稿は、江口さんの書いたイラストが、インスタに流れてきた金井さんの横顔を元に描いたものであり、金井さんの事前の了解を得ないままにJR荻窪駅のルミネに看板として張り出してあるが、金井さんから事後承諾を得たという趣旨のものです。

この投稿に関し、金井さんは同日、Xに以下のような投稿をしています。

「(わたしの横顔が、知らないうちに大きく荻窪に……!?) と、お問合せをしたところ、直接ご連絡をいただき、このようなかたちとなりました。

金井球と申しまして、嫌いな食べ物と愛用しているお風呂用洗剤があります。わたしはわたしだけのものであり、人間としてさまざまな権利を有しております。」

この金井さんの投稿は先の江口さんの投稿に続くものであり、金井さんとしては、自分の横顔がイラストになっていたことに気が付き、問い合わせをし、江口さんとの間で話がついたという趣旨のものです。

この両者の投稿を見る限りは、江口さんが事前の承諾なく金井さんの写真を利用してイラストを作成したことについての法的な問題(肖像権ないしパブリシティ権)はクリアされたようです。

(肖像権)

個人の容姿や姿態を無断で撮影、公開、利用されない権利

→今回の件はまさに金井さんの肖像権を侵害しているといえます。

(パブリシティ権)

個人の氏名、肖像、サイン、声などの顧客を惹き付ける力があるもの全般を無断で利用されない権利

→今回の件は、「金井さん」という肖像であるがために顧客誘引力があるとは評価しがたいと思うのでパブリシティ権侵害の構成は難しいと思います。

(両者の違い)

肖像権は一般人であろうと、有名人であろうと誰でもが有する自分の姿や形に対する権利です。どんな人でも自分の顔や体を書いてポスターなどとして無断で勝手に他者に利用されることは望まないでしょうから権利として保護されています。

パブリシティ権は、肖像権よりもさらに踏み込んで「この人の肖像などは商用的価値がある」として商用利用を前提に構成される権利です。

たとえば、特定の有名人が特定の企業の商品を手に持ってポスター掲示されれば、まさに「広告」としての効果が見込めます。そのため、このような商用的効果が生じない限り、パブリシティ権とはなりません。

今回のイラストは、金井さんをモチーフにしていますが、イラストだけから一見して金井さんがモチーフになっていると誰も彼もがわかる訳ではなく、その意味では金井さんのパブリシティ権ではなく、肖像権として構成すべき問題だと考えます。

このパブリシティ権について、有名な最高裁判例(ピンクレディ事件)の判旨を引用しておきます。

平成24年2月2日判決(最高裁第一小法廷 民集66巻2号89頁)
【判旨】
①人の氏名,肖像等は,個人の人格の象徴であるから,当該個人は,人格権に由来するものとして,これをみだりに利用されない権利を有する。
②肖像等を無断で使用する行為は,〔1〕肖像等それ自体を独立して鑑賞の対象となる商品等として使用し,〔2〕商品等の差別化を図る目的で肖像等を商品等に付し,〔3〕肖像等を商品等の広告として使用するなど,専ら肖像等の有する顧客吸引力の利用を目的とするといえる場合に,パブリシティ権を侵害するものとして,不法行為法上違法となる。

この事件では、上記基準に当てはめた上でピンクレディの写真が週刊誌に使われたことのパブリシティ権侵害を否定しました。

その理由は以下のとおりです。

「これを本件についてみると,前記事実関係によれば,上告人らは,昭和50年代に子供から大人に至るまで幅広く支持を受け,その当時,その曲の振り付けをまねることが全国的に流行したというのであるから,本件各写真の上告人らの肖像は,顧客吸引力を有するものといえる。
 しかしながら,前記事実関係によれば,本件記事の内容は,ピンク・レディーそのものを紹介するものではなく,前年秋頃に流行していたピンク・レディーの曲の振り付けを利用したダイエット法につき,その効果を見出しに掲げ,イラストと文字によって,これを解説するとともに,子供の頃にピンク・レディーの曲の振り付けをまねていたタレントの思い出等を紹介するというものである。そして,本件記事に使用された本件各写真は,約200頁の本件雑誌全体の3頁の中で使用されたにすぎない上,いずれも白黒写真であって,その大きさも,縦2.8cm,横3.6cmないし縦8cm,横10cm程度のものであったというのである。これらの事情に照らせば,本件各写真は,上記振り付けを利用したダイエット法を解説し,これに付随して子供の頃に上記振り付けをまねていたタレントの思い出等を紹介するに当たって,読者の記憶を喚起するなど,本件記事の内容を補足する目的で使用されたものというべきである。
 したがって,被上告人が本件各写真を上告人らに無断で本件雑誌に掲載する行為は,専ら上告人らの肖像の有する顧客吸引力の利用を目的とするものとはいえず,不法行為法上違法であるということはできない。」

このように、パブリシティ権侵害は、「有名人の写真等を使えば常に成立する」というものではない点、注意が必要です。

以上のような江口さんと金井さんの投稿とは別に、このイラスト作成を江口さんに依頼し、ルミネ内に張り出していたルミネ荻窪は、同日付けで公式サイトにて以下のような対応を公表しています。

「日頃よりルミネ荻窪をご愛顧いただき誠にありがとうございます。

2025年10月18日(土)、19日(日)に開催を予定しております「中央線文化祭」の

告知ビジュアルに関して、制作過程に問題があったと判断し、必要な確認が完了するまでの間、該当ビジュアルを一時的に撤去させていただきます。

ご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。」

『中央線文化祭2025』に関するお知らせ │ トピックス │ ルミネ荻窪 │ LUMINE
日頃よりルミネ荻窪をご愛顧いただき誠にありがとうございます。 2025年10月18日(土)、19日(日)に開催を予定しております「中央線文化祭」の 告知ビジュアルに関して、制作過程に問題があったと判断し、必要な確認が完了するまで

ルミネ荻窪としては、江口さんの告知ビジュアル作成の制作過程上の問題を前提としての対応ということであり、妥当です。

すなわち、そもそも江口さんとルミネ荻窪との間でビジュアル制作上、どのような委託契約の内容になっていたか、その契約内容にしたがって江口さんが適切なビジュアル作成をし、ルミネ荻窪に納品したと認められるのか、仮に金井さんが肖像の利用を事後承諾したとのことであればその承諾について文書の取り交わしや対価の支払い、肖像利用の範囲についての合意がされているかなどの確認が必要になるからです。

これらはいずれもいわゆる江口さんとルミネ荻窪との契約関係及び江口さんと金井さんとの肖像権利用についての合意の成否等という「法的な権利関係」を巡る問題です。

しかし、Xを中心としたSNSや各種ウェブサイト上では、今回の件をきっかけとして、江口さんの他のイラストについても他者の肖像を無断利用した疑いの指摘が多数続いてしまっています。

そして、このような指摘をきっかけにルミネ荻窪以外の企業でも江口さんのイラストを利用して広告をしていたことについての対応をとるところが出てきています。

【デニーズ】

https://www.dennys.jp/pdf/251004.pdf

【Zoff】

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これら企業としては、ルミネ荻窪と同様の法的問題の有無の調査が必要になるので当然の措置です。

ここで少し話を戻すと、ルミネ荻窪の件では、金井さんが事後とは言え承諾をしているのであればもはや法的な問題は残りませんが、それでもこれだけSNSなどで問題が指摘されると、本件イラストを再掲載することはかなり難しいのではないかと思います。

これは企業の法的責任を越えた「モラル」の問題であり、ステークホルダーへの影響も踏まえた対応として必要な措置となります。

当然、江口さんに対しては損害賠償の問題が生じます。

この点、江口さんとルミネ荻窪との制作物委託契約上は、江口さんが他人の肖像権を侵害した上での作品提供を念頭には置かないでしょうから、そのような作品を納品したことは債務不履行と評価できると思います。

ただし、金井さんが事後に肖像権利用に合意をしているのでこの肖像権侵害をした作品を提供したことを債務不履行と構成することは難しいかもしれません。

他方で、江口さんは金井さんの肖像を無断で利用し、その結果としてルミネ荻窪がビジュアル利用を停止せざるを得なかったのであり、これに伴う損害については江口さんに不法行為に基づく損害賠償責任が生じると言えます。

すなわち、ルミネ荻窪としては、江口さんに対して契約上の債務不履行責任の追及は難しいものの、不法行為に基づく損害賠償は可能だと考えられます。

ただし、このような二つの法律構成の違いはあるにしても、江口さんの法的責任があること自体は変わりないと言えます。

なお、デニーズやZoffについては肖像権を有する方からの事後承諾が得られたかどうかが判然としないので仮に事後承諾がないようなら債務不履行も不法行為もいずれも主張が可能と考えられます。

その他、そもそもトレース自体は問題ないのか、という話もありますがトレース自体は法的に何ら問題なく、事の本質はトレースされる題材となった人物の肖像権ないしパブリシティ権の問題であることにフォーカスするべきです。

また、トレースしたイラスト自体は、江口さんに著作権が帰属します。江口さんが著作権を有するイラストが他者の肖像権を侵害しているという点、なかなか理解し難いかもしれませんが、権利関係を説明するとそうなります。

以前から当事務所では著作権侵害、商標権侵害、パロディの法的問題などについても多数ブログを掲載してきました。今後もさらにこれら権利について、社会内の認識や議論が進むことを期待しています。
https://kakehashi-kigyo-law.com/aboutnews

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